「日記こそフリーで書ける自由なメディアです。みんな好き勝手書いていいんだぞっ」
16年前、編集プロダクションに就職したくて通った編集教室で講師がそう言ったのを覚えている。編集者やライターは職人と聞かされたからこそ、そうなんや!ほんまや!と20歳そこらだった自分はすごく納得した。
11月23日以降から少しづつ書いていこうと記録をしているものの、どんだけのんびりしてんねんで全く追いつかないまま、今、この今が自分にどんどんくるから、飛んでしまって書くことにする。
知人のアサダワタル氏によるnote「不自由さ」の観察-コロナと私とこの世の断片-
を読んだ。今だからこそ、自分に「素直」に書く、この「素直さ」そのものが「自由」になることの一歩とも綴っていた。なるほどなぁって思う。素直であること。隠さないこと。
とにかく今のことを書く。この行為だけでどこか落ち着くところがある。
ツイッターは苦手で140文字でさらっとつぶやく。それが自分には向いていない。この日誌と称している形式がしっくりくる。今の状況で言うと、生活必需品ではない職種なので、しばらく休みになった。訪れる人がほとんどいない中でリスクだけが増すという状況にみんなもややピリピリしていたし、自分もほっとした。
感染者が増加していく様子に、日に日に不安が募る。
毎日、ネット、ツイッターやテレビ、新聞といったいろんな情報に触れて現政権への苛立ちが増していく。なんでやねん、アホちゃうかと思う。改善策より自分たちのことを優先、アホなことばっかりしている政治家たちがヤバすぎて怖いし、失望するし、荒れる。かつてこんなに、身近にいる人や周囲の人と政治の話をしたことがあっただろうかってくらい話をしている。母親と朝は新聞や報道を見ながら今の政治がいかにやばいかの話をし、夜には感染者数の動向に追加される政府の動向にため息をつく。
とは言え、生活は続く。朝起きて、夜に眠る。
山積みになった本。全部読めていない本。
引っ越ししてから包丁を握らなくなった。久しぶりに料理もしよう。
簡単な酒のアテをつくろう。気もまぎれるし。
音楽は毎日聴いている。