本日、昔の携帯(ちびっ子のご指摘)から、現代の携帯にリニューアルした。
私の仲良し友には、同じく昔の携帯を使い続けている仲間が結構いたのもあり、慣れるまでメールのやり取りが難航しそう、あれこれ設定をし直さない…とが面倒だな、物事に馴れるのに時間がかなりかかるのもあって先延ばしにしてた変更を流れに身をまかせて、えいやっとドコモショップへ。
親切なお兄さんの説明をふんふんと聴いている間に、新しい携帯が手元に。あっという間だった。便利になることでカットできる不便さと、不便さをなくすことで手に入れる便利さとの間になにかしらの何かがあるんだろうなーっていつも感じる。
その人がどういうリズムで生きていきたいかという選択の問題でもあるのかもしれない『遅読のすすめ』を読みながら、うなづく。
速読ではなく、ゆっくりと本を味わうこと。
○○に惑わされないで今、目の前にあることをゆっくりと味わうこと。
○○はいろんなことが入るから○○に。
ゆっくりと歩きたい。
もちろん、めっちゃ前に、色んな本を早く読めたら随分と頭がよくなるんやわ…と憧れて、驚異の時間術やったかな、なんか読んだこともあるが、あれは、ほんとすごい人がすごい仕方で必要に迫られてというので、そうそうにたくさんのことを一気にできない私は、遅読のようなリズムが今の自分にとってベスト。関西人というより性格がせっかちなところが多いにあるが、今、ゆっくりしていいんやなって思うと途端にゆるみ、のんびりモードにスイッチONになるし、場と自分の呼吸の間合いみたいなものが、ちゃんと呼応できたら、楽ちんになるんだろな。
今日はhyslomが制作している【Big one-パイプ】(長さ4.8m、直径1.5mの円柱に無数のバネを付けた巨大楽器彫刻)の展示を観にsocial kitchenへ行って来た。
展示最終日に間に合ってよかった。
彼らが制作するBig oneの成長を、つるっとした状態から、今の姿になるまで、ちょこちょこと見る機会があって、今日、目にしたBig oneは随分とかっこよくなっていた。
窓のすきまから入る風によって差し込む太陽の光が加減され、光のあたる部分とあたらない部分のネジのきらめく様がよかった。
三人、それぞれが、それぞれに取り組んで結実したものがしっかりと刻まれていて、なんでまたこんな大きいもんを作ってたくさんのバネをつけてるんだっていう、シンプルな面白さもあり、Big oneはいいなぁ。これからも成長をし続けるの、楽しみだ。
展示作品、これは行った人のお楽しみだから、詳しく言わない。でも、Big one見ながら、昆虫さんの言葉を聴いて涙がこぼれそうになる。
人やもの、現象そのものにたいする尊いまなざしなのかな、とても率直に届いて胸がいっぱいになった。
昆虫さんの語りを聞いた帰り道に、宮本常一の忘れられた日本人の話、谷川俊太郎さんが朗読された漁師さんや女性の詩の光景を思い出す。
普通の人の特別なお話、もしくわ、なんでもないお話。
誰かにとってはなんでもない、誰かにとっては特別、そのなんでもないと特別のすきま、ささやかな光がさすような瞬間が好きなのかもしれない。