1/14 美しいノイズ企画 振り返るの日誌

「言葉でない言葉をつかいたい、つくりたい」5,6年前にそんな言葉を彼から聞いたような気がする。

私が梅ちゃんこと梅田哲也さんに出会ったのは、10年前ぐらいだ。今はなき音楽の自立自治区とも言われ、さまざまなイベントを開催していた新今宮BRIDGE(ブリッジ)内で彼が企画をしていた「カフェブリッジ」のライブに出ませんか?とお誘いを受け、初めて知ったのである。そこからしばらくして、彼のライブへ遊びに行った。あの日は、ところどころ曖昧で、でも、輪郭はくっきりしている、そんな夜だった。いくつかの長い筒状の缶へお米を入れ、それらが熱せられることで音が鳴る。突然鳴り出しては響き、時おり静かになり、再び鳴り出すライブだった。当時、その様子を見ていた人たちも私も、彼が何をやっているのか全くわからなかったのだが、ささいな瞬間をも見逃さないように息をひそめ、次はどんなことをするんだろうっと期待に満ちた目でじっと見つめていた。彼の演奏が終わった後、周囲を見渡すと、みんな笑顔で、なんだかとても幸せな時間を過ごしたように思えた。「この人は魔法使いだ。いや、天才か、どちらでもある」となんだか興奮気味になって帰ったことをよく覚えている。

その後、カフェブリッジ企画で坂出達典さんに出逢った。坂出さんの「美しいノイズ」パフォーマンスは音色、現象そのものが美しくもあり、時にチャーミングでもあった。光のパフォーマンスでは、下敷きが光に照らされてゆらめくさまがとても美しく、今でもはっきりと思い出すことが出来る。

今回、應典院で何か企画をしませんかというお話を頂き、すぐさま浮かんだのが坂出達典さんと梅田哲也さんだった。会場は幼稚園の講堂で普段は子供達が集う場所。應典院のスタッフである小林瑠音さんからの提案で、子供から大人まで楽しめるイベントをテーマに、お二人へお願いすることとなった。

当日は、たくさんの方々が訪れ、子供たちも広々とした講堂を嬉しそうに走り回っていた。そんな中、始まった坂出さんのパフォーマンスは、3部作。まずは会場を広々と使ったラジコンカーによるビートニクス。こちらは不確定要素が大きく、うまくいくか、いかないかは、やる時までわからない…というお話だったが、それぞれが上手く反応しあい、大成功だった。次にトイレ掃除で使用するサンポールを使ったサンポールミュージック(電子工作男子のキラーチューンである)。最後は、掃除機にたくさんのホースを入れて奏でる美しいノイズミュージックで締めくくられた。作品の構造やどんな経緯でこれらの作品を作るに至ったかも、楽しそうにお話された坂出さん。パフォーマンスで使用された作品は、日用品でありながら、それらが奏でられる音は美しく、時におかしみを誘い、会場からも時おり笑い声がもれた。

梅田哲也さんは、さまざまな要素をたくさん用意して、それらを今の状況と呼応して変化させていくようなライブだった。光と闇、闇の中で光る影、音、微かに、時に大きく鳴る音。水中で光るもの、ぐるぐる回転するレコード、突然はじけるもの、彼のライブを大人も子供もじっと見つめていた。アカオニという言葉が流れて、アカオニと嬉しそうに連呼する男の子。彼に作品の質問をする少女。

当時「言葉でない言葉を使って…」の話を彼から聞いた私の頭上に、たくさんのハテナが見えたのだろう。彼はすぐに「わかんないよね」と言って、話題を次に移した。今なら、その言いたかったこと、意図したことが、わかるような気がする。

すべてを言葉に置き換えることは出来ない、そのこぼれ落ちた、言葉にならない言葉、意味そのものよりも、もっと感覚に近い、身体で感じたときの心地よさ、言葉に頼らない言葉かもしれない。その言葉は、彼のライブから聞こえてくるように思えた。

以前、友人から「今のうちにたくさん種を蒔き、気づいたら実になってたー。なんて、よくないですか。」と贈る言葉を受けとったことがある。もしかしたら、10年前、お二人のライブを見たあの時、私に種が蒔かれ、いつのまにやらイベントを企画することになったのかもしれない。

ちびっ子たちがたくさん遊びに来てくれた今回の企画。彼らにも種は蒔かれ、気づいたら…近い未来に楽しいことが起こるかもしれない。そんなはじまりの一日になったのではないかと私は思っている。