台北日誌1

この台湾ライブがとても特別な思い出となったのは、台湾フェスティバルの中に日本人アーティストたちのフェス企画を立ち上げた、そう首謀者である、名前はまだなゐの杉田真吾君やメンバーのみんな、現地のボランティアスタッフのみんなが、全面なるサポートと協力をして、かけがえのない時間を作り上げてくれたからだと思います。私たち、日本人アーティストたちのためにいろいろと準備、お世話してくださった台湾フェスのジミーさんにも心より感謝。
この場より、

みんなありがとう!!
謝謝!!

今、そこの場所でしかできないことをする、ここの場所だからできることをする、そこに私は数年前から野外レコーディングを始めて、楽しさを痛感!!それは、きっとかけがえのない瞬間がやってくるから。やっていること自体は変わらなくても、自分たちがそのとき、その場所でしか起こりえない何かに出逢うこと、作用することによって、その場で生まれるもの、出来ることに興味があるのかもしれない。

今回の台湾のフェスは、ここでしか出来ないことが、ここでしか出来ない方法で、みんな試行錯誤しながらも進んで、結実したように思える。リーダーの杉田真吾君や山根君たちと台湾在住のボランティアスタッフのみんなが、日本から来る私たち含め、いろんなアーティストのために準備をしてくれて、私たちは、その環境にひょいっとのる形だったんだけど、それでも、この出逢いと、みんなと過ごした数日間の出来事は、いろんな思い出がぎゅっとつまった日々。

『名前はまだなゐ』の公演、1日目は見逃したけど、2日目、みんながはなった言葉と言葉の意味が、ずっしりと身体に響いた時、涙がこぼれそうになって、うぅーと心が動いたよ。

中国語(台湾語もあるかと思うが。ちょっとわかんない)と日本語をおりまぜた内容で、題材はとても普遍的で日常のお話。愛しい人との別れって書くと大げさだけど、新しい彼女が出来たけど、いなくなった。なついていた猫がいつのまにか、こなくなった。

台湾に滞在している日本人二人の青年が、お互いに話をしていく中で、物語が進んでゆく。

愛しい人が不在になった時の悲しさとどこかしら漂う優しい眼差し。

普遍的なことをいかに表現するかという視点がすばらしくよかった。
通訳ボランティアスタッフ(みんな日本名であだ名となっています)のあさみちゃんと、あやかちゃんが堂々と通訳役をこなし、役者人とその掛け合いの絶妙さ。

真吾君と山根君たちが話した日本語を彼女たちが交互に訳すんだけど、全てを訳す訳ではなくて、めちゃめちゃ長く話しているのに一言でまとめられていたりして、その一言にからくりがあったりするんよね。

この舞台、バイリンガルだとさらに楽しめるんだろうなってボランティアスタッフが爆笑してたりするのを見て感じたんやけど、日本人の私たちも、観に来ていた台湾のお客さんも笑っていてもちろん双方ともに楽しめる内容だった。

杉田君たちがここでしか出来ない、舞台を作り上げていて、それは杉田君のコンセプト《その場で出会った人と作品を作る(出会い系パフォーマンス)》を目の当たりに出来た舞台だったなー。

自分自身に関して言えば、オリジナルであるってことに、すごく思い入れがなかったりもする。ばきりをやっていると、とても主張の強い音楽だと言う人もいるけど、一方で普通の音楽だと言う人もいる。人それぞれの認識であって全然構わんくて、それは、自分の思想や考え、いろいろと影響されたものが、今まで出逢えた人たち、先人たちの知恵であったり、するから。いろんな思いや考えを選択した上で総合したものが自分だと思っているので、ことさら、オリジナルなんだっと叫んだりすることなく、ゆだねるのがいいなぁと思うけど、それとは別に。

その人にしかできないことを、その人が持っているもの、そのもので表現している瞬間に出逢えると心が躍って、うれしくなっちゃう。感動します。そんな舞台でした。

ありがとうー。

次回の台北日誌は、ばきりライブと台北の日々について書きます〜。